伊東忠太先生は、妖怪建築家と称されます。そもそも、妖怪とはどのようなものか、どうして建築に現わすのか、そのあたり、伊東忠太先生の書から読み解きます。また、伊東忠太先生の代表作の一つである湯島聖堂を訪れ、妖怪を実際に見てきました。その写真も掲載します。
伊東忠太先生が考える妖怪について
妖怪に関する伊東忠太(慶応3年(1867年)~昭和29年(1954年))先生の書として、『妖怪研究』があります。妖怪のほか、同じようなタームとして、ばけものが頻繁に登場します。別書『「ばけもの」の研究』を読むと、妖怪とばけものが同意語であることがわかります。これらは、後述するように、総称であり、幽霊など、いくつかに分類されます。
妖怪の研究と云つても、別に專門に調べた譯でもなく、又さういふ專門があるや否やをも知らぬ。兎に角私はばけものといふものは非常に面白いものだと思つて居るので、之に關するほんの漠然たる感想を、聊か茲に述ぶるに過ぎない。・・・
伊東忠太、木片集、妖怪研究、昭和3年(1928年)、p.301
ばけものゝ研究と云つても、別に專門的に調べた譯でもなく、又さういふ專門があるや否やをも知らぬ。兎に角私は、ばけものといふものは非常に面白いものだと思つて居るので、之に關する、ほんの漠然たる感想を、聊か茲に述ぶるに過ぎない。・・・
伊東忠太、白木黒木、「ばけもの」の研究、昭和18年(1943年)、p.195
ばけものは、如何に誕生したのでしょうか。人間は、大自然の中で生きていますが、その偉大さに圧倒され、それを支配する偉大なる力が存在すると考えるのはごく自然なことと言えます。このように創造されるものこそがばけもの(書中では、化物)なのです。人間の好奇心も手伝い、とてつもないばけものが生まれてきました。
自然界の現象を見みると、或るものは非常に美しく、或るものは非常に恐ろしい。或は神祕的なものがあり、或は怪異なものがある。之には何か其奧に偉大な力が潜んで居るに相違ない。此偉大な現象を起させるものは人間以上の者で人間以上の形をしたものだらう。此想像が宗教の基となり、化物を創造するのである。且又人間には由來好奇心が有る。此好奇心に刺戟せられて、空想に空想を重ね、遂に珍無類の形を創造する。
伊東忠太、白木黒木、「ばけもの」の研究、昭和18年(1943年)、pp.196-197
中国は、ばけものの本場と言えます。広大な国土の様々な地理的状況が人間の想像を大いに掻き立てたのです。
日本が化物の貧弱󠄁󠄁なのに對して、支那に入ると全く異る。支那はあの通り尨大な國であつて、西に崑崙、雪山の諸峰が際涯なく連り、あの深い山岳の奧には屹度何か怖ろしいものが潛んでゐるに相違ないと考へた。北にはゴビの大沙漠があつて、これにも何か怪物が居るだらうと考へた。彼等は、ゴビの沙漠から來る風を、惡魔の吐息とも考へたのであらう。斯くて支那には昔から化物思想が非常に發達し、中には極めて雄大なものがある。・・・恁ういふ風に支那人は太古から化物を想像する力が非常に强かつた。是皆國土の關係による事と思はれる。
伊東忠太、白木黒木、「ばけもの」の研究、昭和18年(1943年)、pp.198-199
総称としてのばけものは、5つに分類されます。おもしろいのは、神や仏もばけものの一つなのです。先述したように、ばけものは偉大なる力を持つものでありますから、それは当然のことでしょう。ばけもの(書中では、化物)は、一分類としても使われており、狭義には、悪戯や復讐のために現れる動物の権化のようなものでしょうか。妖怪建築に現れるのは、五分類のうち、怪動物になります。いろいろな動物の合成とでも言いましょうか。これも人間の創造がなせる技ですが、幽霊のようにおどろおどろしいものではなく、ユーモアを感じるべきものなのです。
以上で大體化物の槪論を述べたのであるが、之を分類して見ると、どうなるか、之は甚だ六ヶしい問題であつて、見方により各異る譯である。先づ差當り種類の上からの分類を述べると、
伊東忠太、白木黒木、「ばけもの」の研究、昭和18年(1943年)、pp.202-205
(一)神佛(正體、權化)、(二)幽靈(生靈、死靈)、(三)化物(惡戲の爲、復仇の爲)、(四)精靈、(五)怪動物
の五となる。・・・第三の化物は、本體が動物で、其目的によつて惡戯の爲と復仇の爲とに分つ。惡戯の方は如何にも無邪氣で、狐、狸の惡戯は何時でも人の笑ひの種となり、如何にも陽氣で滑稽的である。・・・併し復仇の方は鍋島の猫騷動のやうに隨分しつこい。・・・第五の怪動物は、人間の想像で𣵀造したもので、日本の鵺、希臘のキミーラ及およびグリフイン等之に屬する。龍、麒麟も此中に入るものと思ふ。天狗は印度では鳥としてあるから、矢張此中に入る。此第五に屬するものは槪して面白いものと言ふことが出來る。
妖怪が建築に現れる理由
ばけものは、偉大なる大自然の中に生きる無力な人間にとって、ある意味、なくなりそうもないものですが、如何にして、洗練されていくのでしょうか。それは、芸術の力に負うところが大きいようです。建築にも多くのばけものが表現されてきました。
此等樣々の化物思想を具體化するのにどういふ方法を以てして居るかといふに、時により、國によつて各々異なつてゐて、一概に斷定することは出來ない。・・・併し凡てに共通した手法の方針は、由來化物の形態には、何等か不自然な箇所がある。それを藝術の力で自然に化さうとするのが大體の方針らしい。・・・日本では従來餘り發達して居なかつたが、今後發達させようと思へば、餘地は充分ある。日本は今藝術上の革命期に際して、思想界が非常に興奮して居る。古今東西の思想を綜合して何物か新しい物を作らうとして居る。此機會に際して化物の研究を起し、化物學といふ一科の學問を作り出したならば、定めし面白からうと思ふのである。昔の傳説、樣式を離れた新化物の研究を試みるの餘地は屹度あるに相違ない。
伊東忠太、白木黒木、「ばけもの」の研究、昭和18年(1943年)、pp.205-207
大正12年(1923年)、大正関東地震の火災により、孔子廟である大成殿をはじめ、湯島聖堂内の多くを焼失しました。いずれ再建されることになりましたが、伊東忠太先生は、湯島聖堂の復旧計画を奮って引き受けました。寛政11年(1799年)築の大成殿については、忠実な再現に重きを置きつつ、儒教が興った中国の様式を強調する方針がとられました。昭和10年(1935年)に再建されましたが、ばけものの本場である中国の様式を意識したものであり、また、ばけものに対する先生の強い思い入れもあり、ばけもの(怪動物)が棲まうものとなりました。
加えて、幼少からのばけもの(書中では、化け物)好きも高じたようです。
何の因果か、生來化け物が大好きで、幼少の時母の膝に抱かれて數々のお伽噺を聞かされた中にも、化け物の出て來る話には一入興がつたものである。近頃予は折に觸れて漫畫を描く癖がついたが、其の漫畫が兎角化け物的になるのも、所謂三つ兒の魂百までと云ふのであらう。
伊東忠太、伊東忠太建築文献、化けもの、昭和12年(1937年)、p.636
湯島聖堂の妖怪フォト
以上、妖怪建築家と称される伊東忠太先生が考える妖怪とはどのようなものか、どうして建築に表現するのか、伊東忠太先生の書から読み解きました。また、伊東忠太先生の代表作の一つである湯島聖堂の妖怪フォトを掲載しました。
築地本願寺、一橋大学など、伊東忠太先生の別の建築も訪れ、様々な妖怪を見ていきたいと思います。
それでは、次回、お会いしましょう。