吉阪隆正先生のヴィラ クゥクゥ&まるひ邸の巡礼記です

先日、吉阪隆正(よしざかたかまさ)先生の住宅を巡ってきました。ヴィラ クゥクゥ(渋谷区)と まるひ邸(世田谷区)の二つです。

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ヴィラ クゥクゥ(VILLA COUCOU)

所在地は、東京都渋谷区。小田急線の代々木上原駅と京王線の幡ヶ谷(はたがや)駅の中間くらいに位置しています。私は、幡ヶ谷駅で下車し、10分ほど歩きました。

ヴィラ クゥクゥは、東西に細長い敷地に佇んでいます。写真は東面になります。アプローチがあります。

吉阪先生は、1950~1952年にかけて、ル コルビジェ(一般には、ル コルビュジエ)先生に師事しました。ユニテ ダビタシオンマルセイユ(~1952年)の現場に関わり、ロンシャン礼拝堂(1955年)の計画に触れ、コンクリートによる自由な表現を学んだとされています。ヴィラ クゥクゥは、帰国から数年後の1956年に建てられました。

奥の西側は1層で、間口の広い開口があります。東側は2層分の高さがあります。これに合わせ、屋根は弧を描くように持ち上がり、南北の壁によって閉じられています。

内部はメゾネットになっています。延床面積は67.0平米と比較的狭めです。天井にはトップライトがあり、南面に散りばめた小さい開口には、赤、青、緑などの色ガラスがはめ込まれています。東面も含め、大小の開口がランダムに配置されています。

出窓を覆うコンクリートは、可動式になっていて、日除けと解釈されています。ちなみに、ル コルビジェ先生は日除けをブリーズソレイユと称しています。表層のガラス面が単調とならないよう、新たな要素として加えています。

ヴィラ クゥクゥは、ル コルビジェ先生の晩年の作風を紹介するものと言えます。日本の建築界に与えた影響は大きく、名作とされる所以です。

ただし、杉板型枠の打ち放しコンクリートは洗練された表情とは言えません。また、ジャンカにレリーフを刻んでしまうのも、吉阪先生ならではと言われています。1941年のこと、吉阪先生は中国の草原で見た泥の家に衝撃を受けたそうです。吉阪先生はコンクリートに強い思いをお持ちでしたが、大自然に溶け込むような建築の表現を模索していたようです。

不連続統一体。吉阪先生の理論です。建築に関わる参加者それぞれの多様な考え方を、コミュニケーションを集積し、調和ある全体に仕上げていく、といったものでしょうか。こうあるべきといったものはありません。ヴィラ クゥクゥにおいても、これを実践する設計体制がとられたようです。その意味で、吉阪先生の作品というより、吉阪先生+吉阪研究室の作品とみなした方がいいかもしれません。

取り壊しの危機さえあったヴィラ クゥクゥ。ご存じのように、女優の鈴木京香さんが購入されました。実際にお住まいになれば、それがベストですが、正直、難しいようです。結局、竣工当時の姿に近づけられ、今後は、近代建築に関心ある方々に向け、開かれた施設にしていくそうです。その姿勢は高く評価され、日本建築学会から賞を贈られました。

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まるひ邸(樋口邸)

代々木上原駅まで歩き、小田急線を使い、成城学園前駅に。西に向かって10分ほど歩くと、視界が開けます。富士山を望める日も多いのですが。。

急坂を下り、5分ほど歩くと、国分寺崖線の木々に溶け込む住宅があります。4階建ての まるひ邸です。

背面は、崖が迫っており、木々が生い茂っています。

設計は、U研究室の樋口裕康(ひぐちひろやす)先生が担当しました。その長兄が施主です。ちなみに、1954年に開設された吉阪研究室は、1964年にU研究室に改称されています。まるひ邸は、1966年に設計を始め、1968年に竣工しました。延床面積は、232.11平米です。1979年に2階部分に増築工事が行われているようです。背面側でしょうか。

写真左手の階段をのぼり、右に曲がり、ブリッジを渡ると、玄関があります。坂の途中にある関係で、こちらが1階になるようです。

1階にはリビングがあり、横長に連続窓が設けられています。

2階、3階には打ち放しの階段を使います。藤森照信(ふじもりてるのぶ)先生は、迷路のような空間を巡り、壁構造ではなく、柱梁の軸組み構造であることに驚いたようです。吉阪先生の建築は、軸組を洗練するような表現に向かっていないということです。

目を引くのは、こちらの階段。コンクリートの片持ち。断面形状はやや違いますが、ヴィラ クゥクゥのリビングにもあります。配送人が配送物を窓越しに渡すためだけに利用されるようです。

複雑な形状のコンクリートの塊。合理性や住みやすさを追求しているように思えませんが、なぜか生命感があります。吉阪先生の実験住居とされています。

大江健三郎先生の「洪水はわが魂に及び」。地下は核シェルターです。最後は、クレーン車に吊った鉄球をぶつけられ、破壊されます。。

余談ですが、大江健三郎先生は、成城に住まわれていました。ノーベル賞を受賞されたころ、芦花公園駅を利用し、烏山福祉作業所に長男光(ひかり)先生の送迎をされていました。親として当たり前と言えばそれまでですが、大江先生の場合は、その姿に強い決意のようなものが感じられました。

以上、ヴィラ クゥクゥとまるひ邸。簡単に綴らせていただきました。どちらも中を見ることはできませんので、「吉阪隆正+U研究室 実験住居」(建築資料研究社)などを参考にしました。

それでは、また。

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