
Atelier momo
建築家、インテリアデザイナー
デザイン界のレジェンドたちにオマージュを捧げます。
フィンランドの深い森の中に静かに佇むヴィラ・マイレアは、単なる邸宅ではありません。それは、近代建築の歴史において、ひときわ輝きを放つ特別な存在です。1930年代末、高名な建築家アルヴァ・アアルトが、マイレとハリー・グリクセン夫妻とその家族のために設計しました。この家は、当時の国際的な建築の潮流に安易に迎合することなく、自然と人間が共生する新しい住まいのあり方を示した傑作として知られています。

自然と一体になったデザイン
グリクセン夫妻には3人の幼い子どもがいました。彼らがアアルトに託したのは、家族が快適に暮らし、多くの友人を招いて集うことができる、温かく開放的な空間でした。広々とした書斎やマイレ夫人のアトリエといった具体的な要望に加え、何よりも「自然との深いつながり」を大切にしたいという想いがありました。
ヴィラ・マイレアの最も際立った特徴は、建物と周囲の自然環境が見事に調和している点です。そこには、人間が自然を支配するのではなく、自然と手を取り合って築き上げたかのような、穏やかで謙虚な佇まいがあります。
エントランスは、まるで森の中にそっと身を隠すように控えめにデザインされています。建物を支える柱には、森の木々をそのまま束ねたかのような有機的なフォルムの木材が用いられ、自然素材の温もりが伝わってきます。また、庭に設けられた緩やかな起伏は、森と中庭を優しくつなぐ役割を果たしています。




敷地の工夫とユニークなプール
ヴィラ・マイレアが建つのは丘陵地帯ですが、アアルトはこの地形を巧みに活かしました。建物は丘の頂上ではなく、やや下がった南向きの斜面に配置することで、よりドラマチックな景観を生み出しています。基礎工事で掘り出された土は、庭に人工的な丘を築くために再利用され、庭と外部空間を緩やかに結びつけています。


中庭の中心には、印象的なプールが配置されています。このプールの形状は、設計過程で当初の四角形から、腎臓型として知られる有機的で自由なフォルムへと変更されました。この自然な曲線は、コンクリート壁のひび割れを防ぐという実用的な工夫でもありました。このプールは、フィンランドの無数の湖沼や、開放的なライフスタイルを想起させるとともに、サウナ後に水浴びをするというフィンランドの伝統的な習慣をも反映しています。



アアルトの「実験工房」としてのヴィラ・マイレア
ヴィラ・マイレアは、アアルトにとってまさに「実験工房」のような場所でした。彼は膨大な数の図面や模型を制作し、新しいアイデアを試行錯誤しながら設計を進めていったと言われています。
特に、フランク・ロイド・ライトの「落水荘」からの影響は、しばしば指摘される点です。アアルトは落水荘の大胆なデザインと自然との融合に感銘を受け、ヴィラ・マイレアにおいても同様の効果を追求しようと試みました。
建築の特徴と魅力
ヴィラ・マイレアの主な建築的特徴としては、アルファベットの「L」字型をした平面構成、それによって生まれる囲まれた中庭、ひときわ目を引くアトリエ、そして随所に見られる曲線的な要素が挙げられます。




L字型のプランは中庭を効果的に囲い込み、フィンランドの伝統的な農家に見られる「囲い庭」の概念を現代的に再解釈したものと言えるでしょう。
曲線的な要素はアアルトの設計における特徴の一つですが、ヴィラ・マイレア全体としては、直線的な構成とL字型の石壁が支配的であるため、曲線はむしろ控えめに用いられているとも言えます。しかし、アトリエの波打つ壁などは、この建築における重要な曲線的アクセントとなっています。



現代建築と文化的な背景
アアルトは、当時の他の建築家たちが追求した機械的な合理性や均質性とは一線を画すアプローチを取りました。ヴィラ・マイレアは、機能性とフィンランドの土着的な伝統が見事に融合した建築として高く評価されています。
批評家たちはヴィラ・マイレアを様々な言葉で表現しています。ある者は「これは家ではなく、愛の詩だ」と称賛し、またある者は「頭と体と尾を持つ、湾曲した魚」と比喩しました。この住宅は、単にミニマムな生活を追求するのではなく、最大限に豊かな生活を実現しようとするアアルトの新しいヒューマニズムの現れであるとも言われています。
施主であるグリクセン夫妻は、理想的な社会の実現を夢見ており、彼らが設立した家具会社「アルテック」の社名は、「アート(芸術)」と「テクノロジー(技術)」を組み合わせたものです。これは、彼らが技術に対して肯定的かつ建設的な視点を持っていたことを示唆しています。
ヴィラ・マイレアの設計には、他の建築物からの影響も見て取れます。例えば、マイレ夫人の両親の邸宅や、アアルト自身の自邸、そしてフィンランドの国民的画家アクセリ・ガッレン=カッレラの自邸兼アトリエなどが挙げられます。
まとめ
ヴィラ・マイレアは、アルヴァ・アアルトが自然との関係性、建築的な実験精神、そしてフィンランドの文化や伝統をいかにして一つの作品として昇華させたかを示す、奥深く魅力的な建築です。この家は、単なる住まいという機能を超えて、人間と自然が調和して生きる理想の姿を、私たちに静かに語りかけています。
