今回は、安藤忠雄先生の赤羽邸について綴ってみます。
同じく世田谷区にある安藤忠雄先生の住宅と言えば、城戸崎邸と伊東邸が有名です。城戸崎邸は、曲面壁が特徴的で、背後に一辺12mの立方体の本体が置かれています。伊東邸は、5.6m角の柱、はり構造が基本要素で、こちらも、曲面壁で外部と隔てられています。
対して、赤羽邸は、一辺7mの立方体というシンプルな構成で、後述するように、安藤先生の出世作である住吉の長屋(1976年)に通じるものがあります。
名称 (築年) | 敷地面積 建築面積 延べ面積 | 構造 | 階数 |
赤羽邸 (1982年) | 240.8 ㎡ 61.1 ㎡ 119.0 ㎡ | RC壁式 | 3 |
城戸崎邸 (1986年) | 610.9 ㎡ 351.5 ㎡ 556.1 ㎡ | RC壁式 | 3 |
伊東邸 (1990年) | 567.7 ㎡ 279.7 ㎡ 504.8 ㎡ | RCラーメン RC壁式 | 3 |
今回は、原初的ともいえる赤羽邸について綴りますが、赤羽建美(あかばねたつみ)先生の文學界新人賞受賞作「住宅」の舞台にもなっていますので、その描写も引用したいと思います。
安藤忠雄先生の赤羽邸
赤羽邸は、作家の赤羽建美先生ご夫妻が、両親と弟と住むための住宅。旗竿地に建ち、ボリュームの南半分は吹抜きです。立方体の中心に正方形断面の煙突状のコアがあります。階段がロの字に配されており、上部はトップライトになっています。
階数 | 床面積 | 用途 |
地階 | 41.5 ㎡ | 両親の和室、台所・食堂 |
1階 | 39.2 ㎡ | 玄関、弟の寝室、 夫婦の寝室(スキップフロアー) |
2階 | 38.3 ㎡ | 夫婦の居間、 台所・食堂(スキップフロアー) |
赤羽建美先生の「住宅」
赤羽先生の文學界新人賞受賞は、文學界の1983年12月号で発表されました。発表時期、また、「住宅」というタイトルからして、新築間もない赤羽邸が描かれていると察しました。国会図書館で閲覧したところ、正にその通りでした。ちなみに、正確には、新築ではなく、建替えだったようです。
小説では、以下のように描かれていますが、実際の赤羽邸に忠実なことがわかります。
・・・住宅を真上から見ると東西南北それぞれの壁面は完全に同じ寸法の正方形で、その中心にもう一つ小さな正方形の部分がありそこが階段室だった。階段室は、最下階にある両親の和室とダイニングルーム、中間にあるテラスとボクと妻の寝室と弟の居室、最上階のボクと妻のダイニング・リビングのそれぞれのプライバシーを独立させているのだ。玄関を入るとすぐ左手は弟の部屋になっていて、つき当たりの階段を降りると両親の和室と食堂とトイレと二世帯共同の浴室がある。弟の部屋のちょうど向い側にあたる位置(玄関から見ると右側)にある階段を上がるとボクと妻の寝室があり、階段を更に上昇するとボクと妻が使うダイニング・リビングがある。テラスにはボクたちの寝室からしか出られない・・・
文學界37(12) 74ページ
木内という建築家が登場します。基本的に、安藤先生を投影しているのでしょうが、特に、闘志を秘めた態度や孤独な人間関係は当時の安藤先生の生き様を彷彿させます。それにしても、石の家ではなく、木の家を思わせる名前だったり、華奢とか、やせたという表現で、建築家を弱々しい風貌に仕立てているのはユーモアでしょう。安藤先生は1941年、赤羽先生は1944年生まれですから、ボクよりも少し年上になります。
・・・ボクよりも少し年下の木内という名前の建築家・・・顎鬚を生やし銀縁の華奢な眼鏡をかけやせた肩を持った建築家・・・建築家は物静かな態度の内にいつも闘志を秘めていて、施主にも建設会社の社長にも設計事務所の所員にも同じように接する。彼の体全体からは強い意志を抑制しようとする意志が感じられ・・・建築家はボクの家庭のプライバシーに興味を全く向けなかった。建築家はある雑誌のインタビューに答えて「ボクには友人がいません、ひとりです」と語っていたが、それは非常に正しい回答だとボクは思った。ボクと建築家が友人同士になる理由がどこにも見当たらないという意味に於てそれは正しかった・・・
文學界37(12) 72~79ページ
住吉の長屋(1976年)は、敷地面積57.3㎡、建築面積33.7㎡、延べ面積64.7㎡の直方体で、開口が少なく、閉鎖的な代わりに、内部に中庭を設けることで、光、風、雨などの自然を採り入れました。赤羽邸は、住吉の長屋に通じており、自然の享受が企てられています。
・・・立体図にはオレンジ色と草色のマーカーで雨、風、光の三文字が書き込まれていた。建築家はその住宅が自然の中に建つ事実を三つの単語で表現した・・・
文學界37(12) 73, 78ページ
乙女チックな装いのプレゼント。乙女チックな仕草で渡すべきところ、実際は、ごっつい手でなされたわけで、ユーモアを感じてしまいます。深読みしすぎかもしれませんが。
・・・住宅のミニチュアは白い箱に入っていた。箱は発泡スチロールで出来ていてプレゼントのケーキの箱のように赤いリボンがかけられていた・・・
文學界37(12) 74ページ
1970年の下水道法改正以降、下水道整備において、それまでの合流式に代わり、分流式が採用されるようになりました。現在、世田谷区の下水道率は概ね100%ですが、分流式のエリアは南西部の多摩川近くに限られます。「にぎやかでない商店街」が近くにあり、建築文化で安藤先生が語られた「辺りは緑も多く、東京の中では閑静な住宅地」も加味すると、赤羽邸は、東急大井町線の上野毛、等々力、尾山台あたりでしょうか。仮に、場所が特定できたとして、安藤先生に言わせれば、この住宅の佇まいを道路からうかがい知るのは難しいようですが。
・・・それぞれの店がシャッターを降した普段から余りにぎやかでない商店街・・・ボクたち家族の住むこの地域は東京都内でありながら未だに下水道が完備していない・・・
文學界37(12) 69, 91ページ
以上、いかがだったでしょうか。赤羽邸は情報が少ない中、施主の小説の描写も引用し、筆を執ってみました。引き続き、情報収集し、いずれ巡礼してみたいと思います。
それでは、また。